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平成22年第4回定例会

子どものための教育を目指して!

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〈質問通告〉

子どものための教育を目指して!

  • 教育委員会、教育長(事務局)、区長は教育に関する「権限と責任」をどう分担しあっているのか。

  • 「共育マスタープラン」策定の視点と特徴は何か。

  • 区独自の高校版就学援助制度を設けよ!

 

〈質問と答弁の全文〉

 平成22年第4回定例会にあたり、公明党議員団を代表して質問を行います。

 最近ニュースとなりました高齢者の所在不明問題や児童虐待放置問題ですが、その報道の視点は「行政のせいでそうなった」と批判する短絡的なものが多かったように思います。勿論、緊急の時の行政対応は当然としても、課題とすべきは地域の空洞化、また共同体の空洞化であります。このことについて、社会学者の宮台真司氏は自身のブログの中で「個人情報保護法のせいで縦割り行政に拍車がかかったんではないかというのがマスコミの論調で、仙石官房長官が個人情報保護法改正に言及しました。(中略)『行政は何をやっているんだ!』といったような反応は、本来自立すべき共同体の行政(や市場)への過剰な依存をもたらし得ることへの痛切な危惧がある。(中略)資本主義の発達した社会で共同体を放っておけばどのみち市場や行政に過剰に依存して、共同体が空洞化します。でも、市場や行政は共同体から見通せない理由で容易に故障します。だから市場と行政への過剰な依存は、控えるべきなのです」と述べ、行政への過剰な依存は、地域の空洞化、共同体の空洞化につながると警鐘を鳴らします。私も同感であります。平成20年第2回定例会では、コミュニティついて質問しましたが、「過度な行政依存はコミュニティの形成にむしろ逆効果になる」と、帝塚山大学の中川教授の言葉や当時の生涯学習懇談会からの提言書を引用しながら指摘させていただきました。
 「社会が支える」とか「地域の○○力」等、最近、子育てから介護にいたるまでよく使われる言葉です。それだけ地域や社会の果たす役割は増しているといえます。その反面この「社会の空洞化」や「地域共同体の空洞化」という状況も同時に進行しているというなんとも皮肉な現象が起こっているということです。いかに地域の共同性を回復していくのか、また地域の連帯を築いていくのかは今日、大きな課題となっています。
 教育についても地域の共同性や連帯は重要なキーワードですので質問に入る前に触れさせていただきました。

 さて、今回の質問ですが、平成18年第4回定例会、また平成20年第1回定例会に続いてとなりますが、「『子どものための教育』、『教育のための社会』を目指して!」と題し、3点の質問を行います。

 教育に関する法律の改正について最初に確認しておきたいと思います。
 2007年(平成19年)1月24日に、当時の教育再生会議は第一次報告を内閣、当時は安部内閣でしたが提出いたしました。その内容は、ゆとり教育の見直しにありましたが、もう一つ大事な報告がなされました。それは、教育委員会の抜本的な見直しであります。
 具体的には、

  1. 教育委員会の目的及び任務の明確化

  2. 教育委員会と教育長の関係及びそれぞれの役割・権限の明確化

  3. 教育委員について

  4. 教育委員会の自己点検評価と第三者評価の導入

 などが課題として取りあげられました。
 その報告を受け、中央教育審議会の審査を経て、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」、いわゆる地方教育行政法は2007年(平成19年)に改正となりました。その改正の中心は、教育委員会の責任体制の明確化と活動の充実が盛り込まれたことであります。2000年(平成12年)の分権改革につぐ大改正とも言われています。一般的に、権限が与えられればその与えられた仕事に対する評価もセットで仕組みが作られます。今回、教育委員会に実質的な「権限と責任」が与えられること、そしてその職務の評価もセットで法律に明確に謳われたことになります。条文の第26条と第27条であります。ただ、当然のことですが、その「権限と責任」の具体的な内容については各自治体の教育委員会に委ねられました。
 第26条2項では、教育委員会の「事務の委任」について初めて教育長へ委任してはならないとする規定が設けられました。「教育に関する基本的な方針」など6項目であります。また、第27条は、新設ですが「教育委員会は毎年、その権限に属する事務の管理及び執行の状況について点検及び評価を行い、その結果に関する報告書を作成し、これを議会に提出するとともに公表しなければならない」と、権限の及ぶ職務に対するその評価が規定されたのです。
 地方教育行政法には、教育委員会、教育長、事務局、首長それぞれの教育に関する職務が定められています。教育委員会には広範囲な職務が記述されていますが、教育長へ「委任できる」規定もあり、実際どこまでが教育委員会の「権限と責任」なのかわかりづらくなっています。一般的にですがそのことが、「『権限と責任』が曖昧である」、「『形骸化』、『形式化』している」、「追認機関ではないのか」等との教育委員会制度に対する批判につながっていたのではないかと思います。
 2007年の改正ではこの点を大胆に整理したものであり、分権改革に次ぐ大改正になったといわれる所以もここにあります。
 そもそもの教育委員会も確認しておきたいと思います。
地方自治体が選挙により選ばれた首長と議会で構成される首長優位-強首長型の二元代表制を採っていることが、行政委員会としての教育委員会を意味のあるものしてきました。もう少し詳しく述べると、強首長型ともいえる独人制(一人の人にもっぱら職務を行わせること)首長への権限集中と一元的決定を抑制し教育に関する政策の決定と行政運営を多元化することによって

  1. 政治的に公正中立で中長期的な計画をもって

  2. 教育に関する多様な考え方を集約して住民の参加と監視の下で

 つまり、住民自治の仕組みとしての教育委員会の下で、専門的な教育行政を運営できるようにしたことに教育委員会制度の意義はありました。これら本来の機能が十分発揮でき、実効ある教育委員会とすべく2007年の法改正はなされたともいえます。このことにより「ようやく教育委員会はその本来の役割を果たし本領を発揮する環境が整えられたと言えます」(小川正人、論文「家計経済研究2007年冬号」)
 では、具体的には「権限と責任」をどう分担しあっていけばいいのか。この点に関して、東京大学大学院教授で第5期の中教審委員の小川正人氏は「これからの教育委員会の役割とあり方」(「教育展望」2007年4月号)と題した記事の中で3点述べています。「

  1. 教育委員会は地域の教育政策課題や大綱的方針・計画を決定する、

  2. その上で、具体的な政策立案と(教育)行政の執行・管理を専門家教育長-事務局に実施することを要請しつつ

  3. 教育長-事務局がどのように仕事を進め成果を達成したかを評価しその結果を首長、議会、地域に公表して自治体での教育対話と支持を創出していくことに努めること」と。

 この考え方に私も基本的に賛成です。ただ区としては、私は一つ加えるべきだと思います。それは、「住民自治の仕組みとしての教育委員会」の中に各学校に設置されている学校運営連絡会を位置づけその役割を明確にすることであります。そうすれば小川氏が述べるところの「地域の教育課題を政策としていく」ことも可能になり、「住民自治の仕組みとしての教育委員会」もより実行あるものにすることができると思うからであります。子どもであれば誰でも安心して教育が受けられるよう体制を整備すべきであります。つまり、教育委員会、教育長(事務局)、区長の教育に関する「権限と責任」を明確にし、その上で連携・協力できる体制を整備していくということであります。
 法律の重要な改正があったこと、またその趣旨を踏まえた役割分担の案も述べさせていただきました。
 そこで、区として教育委員会、教育長(事務局)、区長それぞれが教育に関してどのような「権限と責任」を分担し合っていくのか、お伺いいたします。また、それぞれの「権限と責任」が明確になったときに、学校運営連絡会の役割と位置づけはどうなるのかも合わせてご答弁ください。

 次に、「共育マスタープラン」についてであります。
 区としての教育、子育てに関する基本的な方針を定めたもので、先ほどの地方教育行政法第26条2項でいうところの教育長に委任してはならないとされた「教育に関する(事務の管理及び執行の)基本的な方針に関すること」のそれにあたります。よって、教育委員会はプラン策定に際し、何を目標にし、つまり何を理念として掲げたのか、またどのような視点を持ってどう策定したのかは重要であります。教育委員会の議事録を見ますと「共育マスタープラン」については今年の1/26、2/9、2/23の3回、協議議案となっていましたが、いずれも秘密会とされ、傍聴もできず未だ議事録も公開されていません。先ほど述べましたように「住民自治の仕組みとしての教育委員会」とは皆が支持し、応援して初めて機能する役割であります。しかし、教育に関する重要方針策定のための会議が秘密会とされ、議事録も公開されないというのは先ほどの法の改正趣旨に反するのではないか。この点、教育長はどのような認識をお持ちなのか、ご答弁ください。


 さて、「共育マスタープラン」の中身についてであります。プランを読みますと、まず実現すべき理念として掲げられたものは、共に育つ「共育」とされ、「『共育』とは、すべての者が様々な違いや垣根を乗り越えて、お互いを理解し、認め合い、そして尊重し合う『共生』の理念のもと、家庭・学校・園・地域等がともに一体となって子どもを育て、また自らも育っていくこと」と説明されています。
 そして、注目されるべきは、その理念を実現していくための5つの方針です。その一つ「社会の総力を結集した『共育』を進める」の項では、「子どもたちを、障害の有無などに関係なく包み込みながら支え合いの心や他者を思いやる心を育めるよう、地域社会を構成するすべての人々が長期的な視野から、『共育』に参加することを推進する。『共育』の推進が地域社会の共同性を取り戻す新たな結び目となって家庭と地域社会の結びつきが強まる」と。また「家庭・学校(園)・地域の共育力を高める」とした方針の項では、地域社会を構成するさまざまな住民・団体・企業などが共育を推進することにより「地域社会の連帯も育ちます」と記述されています。皆が共に育つ「共育」を実現しようと目指すその取り組みはまた地域社会の共同性を回復や地域の連帯を築くことができるとしたものです。
 プランでは地域社会において「基本的な人間関係が希薄になり、個人が孤立し、社会性が失われつつある」と地域共同体の空洞化を危惧しその回復が教育、子育てには何よりも必要であること。そして目標とされた「皆が共生の理念のもと共育に取り組むこと」と地域社会の共同性の回復や地域の連帯の構築は実は一体のものであり同時に達成されるものであることが示されたのです。この考え方はプラン全体を貫く大きな特徴といえます。まさに「教育のための社会」であり、「子どものための教育」につながるものです。
 私は、平成20年第1回定例会で、共育マスタープラン策定の目的に関し共に育つ共育の重要性を指摘させていただきました。「子どもにはもともとすごい力がそなわっています。無限の可能性です。それを引き出すのは、暖かな『励ましの対話』です」その励ましの対話こそは「子育てを通して親も子も共に成長していく。また教育を通して教師も生徒も共に成長していくという『共育』の考え方」(2007年8/24聖教新聞)がベースとして必要であります。またその出発点は子どもを立派な一個の人格として尊敬できるかどうかだと思います。「教育とは共に育つ『共育』である」とする考え方には、子どもと大人がある意味対等な立場に立ち、お互いの人格を尊重し合い認め合うという関係がベースになくてはなりません。つまり、共生の考え方であり、それは子どもを主体とする新たな子ども観でもあります」と。
 マスタープランではこの共育を目標に掲げ、さらに「地域社会の共同性」の回復や地域の連帯の構築までを見通したものとなっています。今、どう教育を構想するのかは多くの自治体の重要課題となっています。この度の共育マスタープランは区の教育構想として十分値するものと評価いたします。教育委員会ではこのマスタープラン策定過程でどう議論がなされたのかは、私だけでなく多くの区民も大変興味のあるところだと思います。
 (現物を示し)できればこのマスタープランを表現もよりわかりやすくし、写真やイラストなども入れた、「子ども版」や普及版としての「概要版」などを作成し、子どもを始め広く区民に配布してはどうでしょうか。共に育つ共育の考え方を皆が共有していくことはとても大切なことであるからです。
 共育マスタープランについて策定の視点と特徴について述べさせていただきました。
 そこで、区長、教育長に「共育マスタープラン」についての考え方をお伺いいたします。また、教育委員会のプラン策定のための視点と教育委員会がプランの特徴とした点は何か、合わせてご答弁ください。

 次に、高校生の就学援助についてであります。
 昨年の3月の高校のデータですが、出席日数・成績等の卒業要件を満たしているにもかかわらず授業料等の滞納を理由に、卒業式後に卒業証書を回収したり、卒業式に出席を認めなかったりした事例が調査した12県(東京は入っていませんが)のうち少なくとも43校、75人(うち公立は7校8人ですが)にのぼったそうであります。このように親の失業や収入減などの経済的な理由で授業料等を滞納して卒業できない状況を「卒業クライシス問題」と呼ばれているそうです。
 今年の4月より高校の授業料無償化がスタートしました。公立高校については、授業料は全額徴収されません。私立高校については、公立の「標準額」にあたる11万8800円を授業料から減額することとし、特に年収が250万から350万円未満の世帯は1.5倍(17万8200円)、250万円未満の世帯については2倍の23万7600円の減額が行われます。つまり、私立に通う場合でも公立相当分が減額され低所得世帯にはさらに手厚くなっています。ただし、これは授業料だけの話であります。入学金などの納付金、学用品費、就学旅行費、通学定期代などさまざまな費用がかかります。文科省の2008年度調査によると高校の学校教育費は公立で年間35万7千円、私立では約78万3千円かかるとされていますので、授業料の11万8800円がなくなっても家庭における教育費の負担は重くのしかかっています。 
 義務教育である中学校まではかかる費用について準要保護世帯(千代田区では生活保護基準の1.2倍)には就学援助制度があります。しかし、高校にはありません。ちなみに全国の要保護者と準要保護者の合計である就学援助者の小中学校生徒数に占める割合の推移ですが、1997年度(平成9年度)6.6%で約78万5千人から2006年度(平成18年度)13.6%で約141万人と割合、実数とも倍増しています。東京都の18年度の数字は23.9%で約18万5千人となっており全国平均よりかなり突出して多くなっています。東京では約4人強に1人の小中学校生が経済的な理由により就学困難となっているという状況です。リーマンショックは2008年でしたので現状はもっと深刻になっていると思われます。千代田区における就学援助者の人数ですが、昨年度で270人となっています。この就学困難な家庭における経済的な状況は高校になったからといっても何ら変わるものではありません。
 これも文科省の調査ですが、経済的な理由で高校を中退せざるをえない生徒は毎年3000人前後となっています。理由の選択にもよりますので実際はもっと多いと推測されます。
 1996年に国連総会で国際人権規約が採択され、締約国は160カ国に及びます。人権規約A規約の中に、中等教育(日本でいえば高校までとなります)について「無償教育の斬新的な導入」も求める条文があります。締約国の中でこの条文を留保している国が2カ国だけあり、それが日本とマダカスカルだというのです。2007年まではルワンダ共和国も留保していましたが、2008年12月に留保を撤回いたしました。日本は今年の2月に撤回の方針は決定しましたが、未だ留保したままとなっています。授業料を無償化しましたので一歩前進ですが、条文でいう「中等教育の無償化」を実現するためには、高校版就学援助を早期に制度化し授業料無償化とセットにして実施すべきであります。
 参議院事務局企画調整室の鴈(がん)咲子(さきこ)氏は「卒業クライシス問題と高まる高校版就学援助の必要性」と題したレポートを「経済のプリズム」今年の9月号に発表しています。その結論部分を引用します。
 「日本において、子どもが受ける教育ないし学歴は、失業、貧困に陥るリスク等に最も大きい影響を持ち、適切な教育を受けていることが、その後の人生において最大の“生活保障”として機能し、その意味では教育は『人生前半の社会保障』の最も重要な要素をなすと言われる。現在の厳しい財政状況においては限られた財源を緊急の課題に集中させることが必要である。(中略)親から子への貧困の連鎖を断ち卒業クライシス問題や高校中退を防ぐことは、義務教育だけで就業することが困難となったわが国における緊急の課題であり、子どもの権利条約の要請でもある。教育の機会均等を確保するために、高校版就学援助制度に関する速やかな検討が必要である」と。まったく同感であります。
 区立の中等教育学校を持つ千代田区として、また先ほどの教育構想としての共育マスタープランを定めた千代田区として区独自の高校版就学援助制度を設けるべきと考えます。ご所見をお伺いいたします。

 以上、「子どものための教育を目指して!」と題し3問の質問をさせていただきました。
 先日自殺した群馬県桐生市の小学6年の女子児童はノートに描いていました。「やっぱり『友達』っていいな!」と。小さな命の叫びは私たち大人に、また社会にいったい何を訴えたかったのでしょうか。私たち大人は子どもに対して果たすべき責任をきちんと果たしてきたのでしょうか。
 共育マスタープランの策定を機に私たちは「子どもの視点」、「子どもの幸せのための教育」という視点すべてを見直してみる必要があります。今回の質問がその少しでものきっかけになればと思います。

 区長、教育長、関係理事者の前向きな答弁を期待し、質問を終わります。
 ありがとうございました。

〈区長答弁〉

 大串議員のご質問のうち、共育マスタープランに関する質問に私からお答えをさせていただきます。
 子どもさんは、成長して、いずれ社会へ出、そして社会生活をするわけでございます。そして社会を担い、また新たな地平を切り開いていくのが、私は子どもさんだろうと思います。そこで、そうした社会というのは、学校とは異なりまして、教科書もなければ、レールが引かれているわけではありません。正解が1つでない世界であります。それがまさに社会であります。自らが主体的に選び取っていかなければならないというのが社会の現実だろうと思います。
 もう少しこのことを敷衍いたしますと、自分で問題を発見し、あるいは、それをよく分析し、解決策をつくって、そして実行するわけでございます。これは、民間の組織であろうと、公務員であろうと、どこでも同じだろうと思います。
 それを実施するに当たりましては、1人ではできません。同僚や多くの仲間の協力があって初めて活動ができ、実行ができるわけでございます。まさに、人は1人で生きていくことは決してできません。社会では、多くの人の協力や支えがあって、そして初めてその人の活動ができるわけでございます。このことが、私は、本当の意味での「生きる力」であろうと思います。
 往々にして、学校におきましては、用意された答えをいかに上手に見つけるかという傾向に走るわけでございますが、私は、学校という場も、むしろ民族の違いや言葉の違い、障害の有無等の違いを、当たり前のこととして包み込む力、そしてお互いに協力し合い、支え合っていく関係を、学校教育の中でもぜひつくっていただくことが、本当の意味での「生きる力」だというふうに思います。
 もちろん、こうしたことは、学校だけではございません。家庭や地域等も含めて、子どもさんを取り巻くあらゆる環境が、こうした子どもさんの「生きる力」をはぐくむという観点で進めるわけでございます。とりわけ、その中心になるのがご家庭であることは間違いないわけでございますが、家庭が子どもの心のよりどころとして、ぜひ、そういう観点で家庭のあり方を、やはり家庭自らが構築していただきたいし、私は、子育てというのは、心を育てるというふうに常に思っております。もちろん、家庭ではパーフェクトな親はおりません。私も含めて、パーフェクトな親はおりません。子どもとの関係についてもさまざまな確執があるだろうと思いますけれども、どうか子どもと一緒に親も成長し、はぐくむんだ、あるいは学校も、先生と一緒に子どもさんが育ち、はぐくむんだという、そういう観点で、学校現場あるいは家庭も子どもさんとの関係を築いていただきたいというふうに思います。このことが、私が従来から申し上げております、「共に育む」という、こういうことだろうと思います。
 まさに今回の教育委員会が策定した共育マスタープランというのは、ただ「教え育てる」ではなくて、「共に育む」という観点で考え方をまとめたというふうに私は思っておりまして、ある面では次代を見据えたマスタープランだろうと思います。
 そのために、我々のほうは、既にこうした観点から、行政組織としては、ご承知のとおり、平成19年に次世代育成部門と教育部門を統合して、0歳から18歳まで一貫して、子どもを育み、そして生きる力を育てる、そうした観点で教育委員会が、単に教育部門だけではなくて、さまざまな取り組みをしていただきたいというふうに、組織を改正したところでございます。
 もちろん、まだ十分とは思いませんが、今回の共育マスタープラン等をつくった理念、物の考え方を、着実に内容を実現していただけるということを、私は期待をしております。
 なお、詳細及びその他の事項については、関係理事者をもってご答弁をいたさせます。

〈教育長答弁〉

 大串議員のご質問のうち、共育マスタープラン策定の視点と特徴並びに教育委員会の公開等についてお答え申し上げます。
 子どもの育ちは、すべての人が参加をし、支え合い、その参加を通じて、その人の成長にもつながっていく、まさに「共生」のあり方を「共に育む」「共育」と表現し、その視点のもと、当該マスタープランを策定いたしました。
 マスタープランでは、次世代育成と教育が一体となった教育委員会の強みを生かし、教育施策、次世代育成支援施策を総合的に推進していくための基本理念や、施策の基本的方向を体系化いたしました。
 「共育」を支える基本理念として、5つの柱を置いております。まず、「子どもが健やかに育つ権利の実現を目指す」として、子どもはさまざまな経験を通じて、心身ともに健やかに育成され、自立性と社会性を自ら獲得する権利が保障されていること。
 次に「大きな社会変動の中で、新たな時代を切り開く人間を育成する」として、子どもの生活環境が激しく変化する中にあって、心身ともにたくましい人間を育成していくこと。
 3つ目に、「「共育」は文化の伝承と創造である」として、連綿と続く人智の上に今があり、次代を担う者はその自覚と責任を有する人間形成が大切であること。
 4つ目は、「家庭・学校・地域の共育力を高める」とし、子どもの心のよりどころとなる家庭がその責任を果たせるよう、学校や地域、企業が一丸となって支援していくこと。
 最後5つ目は、「社会の総力を結集して「共育」を進める」として、地域社会を構成するすべての主体が、子どもたちを障害の有無などに関係なく包み込み、自らも育っていくこと。
 これら5つの基本理念のもと、7つの施策の方向性をマスタープランでは体系化をしております。
 このように、本マスタープランの特徴といたしましては、教育施策と次世代育成支援施策を横断的にとらえ直し、子どもに関する総合的な施策を体系化したものであること、また、家庭、学校、地域等がそれぞれの立場や価値観を認め合いながら、一体となって子どもたちを育て、また自らも育っていく「共育」を実践するための基本的方向を示したものであることと考えております。
 次に、教育委員会の会議や議事録についてでございますが、現在、学校等で定例会を行う移動教育委員会を開催しておりますが、これは、より多くの区民の皆様に会議を傍聴していただきたいということが目的の1つにございます。一方、個人情報を含んでいたり、意思形成の過程にある議事内容等につきましては、会議や議事録の非公開といった慎重な取り扱いをさせていただいております。しかしながら、議事録につきましては、時の経過とともに議事録を公開しても差し支えのない、あるいは公開すべきものがあろうかと考えますので、ご指摘の点につきましては、今後善処してまいります。

〈子ども教育部長答弁〉

 大串議員のご質問のうち、教育における責任と権限の分担及び高校版就学援助についてお答えいたします。
 まず、教育委員会・教育長・区長の教育に関する権限と責任の分担についてですが、お尋ねのとおり、教育委員会は、教育政策課題の解決に向け、大綱的な方針や計画を決定し、教育長は、その方針や計画に基づき、教育委員会の指揮監督のもとに教育事務を執行・管理いたしております。
 また、学校運営連絡会は、学校と地域との連携を深め、地域に根差した教育活動を展開していく上で欠かすことのできないものであり、各学校の教育活動その他の運営状況についての評価にも取り組んでいただいております。教育委員会では、これらの活動を通じまして、家庭や地域からの声を大切にし、活動の充実につなげてまいりたいと存じます。
 そして、区長は、教育委員の任命権者、予算編成権者、そして区政の総合調整者として、あまねく区民の声を教育行政に反映させる一方、学校設置者としての学校設置の理念等を考え、提案する立場にあります。
 次に、高校版の就学援助についてでありますが、ご案内のとおり、本年4月から開始されました「公立高校の授業料の無償化」及び「高校等就学支援金制度」によりまして、高校に通う生徒のご家庭の教育費負担を大幅に軽減されております。さらに、本区では、区独自に、高校生を育成するご家庭に次世代育成手当を支給しておりますとともに、来年度からは、都内初の取り組みといたしまして、高校生への医療費助成も開始する予定であります。これらの取り組みにより、新たな就学援助の仕組みを構築するまでもなく、高校生の育成にかかる費用負担は相当程度軽減される見込みでありますので、ご理解のほどお願い申し上げます。

〈再質問〉

 今まさに、教育というのは重要課題になっています、どこでも。まさに、子どものために教育をどう構想しようかということが自治体に問われている。そういう中で、今のようなご答弁、いいんでしょうかね。もう、全然かわりばえないですよ。全然、法改正があったにもかかわらず、その前の時点の答弁と全く変わらないじゃないですか。法改正があって、特徴を受けて、こうしましたという答弁が、僕は、あると思った。全然ないじゃないですか。
 それは、19年の法改正がある前の質問を僕がしても、恐らく同じ答弁でしょう。違うんじゃないですか。今回の法改正の意義は非常に大きいものがあった。だから、それを受けて、千代田区の教育委員会また区長部局、どうするんだということを、まさに区民に示さなくちゃいけないんですよ。それが、今のようなご答弁ということは、何ら変わっていないです、千代田区。だから、どこでそういう議論を、どう教育を構想しようかということが話し合われているのか。どこも話し合っていないんじゃないですか。しかも、教育委員会でそういう重要な政策を3回やるんであれば、それを意思形成については全部非公開とするなんていうのは、法改正の趣旨に反しますよ。むしろ、それだからこそみんなに呼びかけて、どうぞ傍聴に来てください、発言はできないとしても傍聴に来てください、傍聴に来れない方には議事録を差し上げますぐらいを、やって当然ですよ。そういった姿勢が、全然今の答弁には感じられない。だから、子どもはかわいそうですよ。大人として、子どものために何ができるのかというのをもう一度考えてもらいたい。そして、千代田区の教育はどうあるべきか、一から考え直してもらいたい。そのためにこの共育マスタープランをつくったと思いましたよ。だけども、全然そういうね、何ていうかな、伝わってこない。そういうものが。
 まあ、僕だけ興奮しているようですけれどもね。(「そんなことない」と呼ぶ者あり)でも、それは、子どものためを思うからですよ。だから、そういうものが1つでもいいから、やってくれなきゃ。就学援助にしたって、通り一遍の答え。ね。次世代育成手当を支給していますからと。こんな答えは、とうの昔から何遍もそれ使っていて、それを使えば全部解決するような。全然違いますよ。全然違いますよ。(発言する者あり)ね、全然違うじゃないですか。
 そういう相談が教育委員会のところに、今、修学旅行の積立代も払えなくて困っているんだという相談が寄せられているんじゃないですか。1人でもそういうお子さんがいたら、そういうお子さんにみじめな思いをさせないための制度をつくるべきなんですよ。でしょ。それを何か、育成手当を出しているんじゃないかなんていうのは、全く官僚的な答弁でありまして、子どもの立場に立っているとは全く思えない。
 ぜひ、もう一回再答弁してください。よろしくお願いします。

〈子ども教育部長答弁〉

 まず、区長、教育委員会、教育長との関係、法改正を受けた中での関係でございますが、教育委員会は、法改正の後ですけれども、教育に関する事務の管理及び執行の基本的な方針を自ら決め、そして教育長はその方針や計画に基づいて事務を執行していくという関係にございます。
 そして、区長は、先ほど申し上げたように教育委員の任命権等を通じて区民の声を教育行政に反映させることになりますが、その際重要なのは、区長の持つ総合調整者としてのリーダーシップと、合議制の機関である教育委員会との合意形成システムがうまくかみ合い、そして権限と責任を分担し合いながら、適切な教育政策を展開していくことにあると考えております。まさにそれが教育制度改革の目指すところであると考えております。
 就学援助についてでございますが、先ほど答弁いたしました制度以外にも、都では、生活安定化総合対策事業といたしまして、一定所得以下の世帯の高校生を対象に、さまざまな支援などの制度を展開しておりまして、それらを組み合わせることで、各ご家庭の教育費の負担は一定程度軽減されているものと考えております。

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