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平成18年第3回定例会

​子ども優先の社会を目指して!

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〈質問通告〉

「子ども優先の社会」を目指して

  • 「子ども優先の社会」の実現に向けて自治体として確かな道筋をつけるべきと考える。改めて区長に基本的な考え方を問う。

  • 格差が広がっているといわれる中、子どもの本来持っている能力や可能性を見出し育てる機会が全ての子どもの保障されていることが重要である。区としてどのようにこの機会の平等を担保していくのか。

  • 区の子ども施策全般を子どもを主体とする子どもの視点を持って体系的に推進し、チェックする仕組みが必要である。現在、次世代育成推進会議がその役割を担っているが現状と今後のあり方を問う。



〈質問の全文〉

 平成18年第三回定例会にあたり公明党議員団を代表して質問を行います。
 子どもと若者の「僕が僕であるために」、「もっと自分らしく生きたい」との心からの訴えに私たち大人は真摯に応えねばならない責任があります。この度「『子ども優先の社会』を目指して」と題し質問を行いますが、少しでも子どもと若者のこのような訴えに応えていくことができればと思います。
 さて日本は戦後約60年、国家・経済を優先とした社会システムをとってきました。結果、物質的な面での「豊かな国日本」を形成することには成功したといえるでしょう。反面、その目的達成のため子どもへの画一的な価値観の強制は子どもの成長・発達の機会を奪うという誠に大きな負の部分もともないました。このことについて元一橋大学法学部教授の福田雅章氏は「子ども期の喪失」という本の中で以下のように指摘しています。「豊かな国日本社会を形成している独特の要因によって、子どもたちは人格の形成を阻害され成長発達の機会を奪われ『子ども期の喪失』に苦しみ呻(うめ)いている。(中略)自分をそのままで認めてくれず、自分を殺して周りと同じになることを迫る学校のまた家族の抑圧に耐えられなくて不登校を決意し、家を出る。(中略)家庭においても、学校においても子どもは人間として持っている自然の欲求を『そのままでいいよ』といって受け入れ、それに応えてくれるような人間関係(機会)が奪われてしまっているのだ。(中略)本来持っている能力と可能性が開花する最も大事な子ども期(機会)を支配管理してしまっている。その結果、子どもたちは自分を放棄し、意見表明しない人間になり、そして周りの画一的な価値観によって自己を律することこそ日本社会の最高の価値であり自己保全の一番の近道であると考えるような人間に『育て上げられている』のである。(中略)いかに子どもの居場所、そのままでよいという人間関係を奪ってしまい子どもが自らの個性を確立して、自分らしくまた他人や社会のためにも生きられるような人格へと成長する機会を奪ってきたことか」と。まさにその通りであり、今も子どもと若者の悲鳴が聞こえてくるような気がいたします。
 その社会システムの中心に位置づけられたのが教育でした。教育の目的は人格の全面的発達にありそれがすべての子どもに保障されることとされる、いわゆる憲法と教育基本法に謳われた教育機会の平等であります。しかし、悲しいかな、戦後日本の学校教育の現実はその本来の目的とは大きくかけ離れ、経済発展をリードする有為なエリートの効率的な選抜と経済発展を支える従順な労働者の育成、および国家主義的考え方の注入の手段としてもっぱら手段として位置づけられてしまっていました。
 また画一的な価値観とは、国家・経済至上主義という政・官・財癒着の構造のもと誠に都合のいい価値観でした。しかし、それはすでに崩壊しているのであって、いまだそれに変わる確かな道筋を示せない現状に国民全体を覆う閉塞感の原因もあるように思えてしかたがありません。まさに旧来の社会システムの大転換をなすときがきたといえます。
 私たち公明党はこの30日に党大会を控えていますが、政策の基本的な考え方として重点政策の一番目に「国家・経済優先の社会から『人』輝く共生社会の実現」を掲げ、この「人」輝く共生社会とはなによりも子どもの可能性を開く「チャイルドファースト」社会つまり「子ども優先の社会」であるとしています。教育についても、人間の幸せという本来の教育の目的にたち「人間の幸せのための教育」との視点を確立し子ども一人ひとりの学ぶ意欲を引き出し無限の可能性を開くとしています。この「子ども優先の社会」の構築は多くの国民の願いであり待ち望んでいたことでもあります。
 「僕が僕であるために」、「もっと自分らしく生きたい」との子どもの願いを叶えるためには国家・経済優先の「国家」を「国民」に、「経済」を「子ども」に置き換えるまさに天と地をひっくり返すような社会システムの大転換を行い、この「子ども優先の社会」を実現するしかありません。
 さて、子どもに関することは教育も、子育ても、健全育成も全て自治体の事務であります。よって「子ども優先の社会」の実現といっても実のところは自治体の取り組みにいかんにかかっているのであります。自治体として「子ども優先の社会」の実現に必要なことは私は大きく2点あると思います。
 一点は、憲法と教育基本法に謳われた「教育機会の平等」の実現であります。つまり子どもの本来持っている能力と可能性を見出し育てる、また子ども自らが気づき発揮できることが可能な機会をすべての子どもに保障していくことであります。もう一点は、子どもを主体とした新たな子ども観、すなわち子どもの視点が社会の隅々までに行き届いていることであります。
 そしてこの2点が約束された「子ども優先の社会」は全ての人に優しい社会でもあるということはいうまでもありません。
 今こそ以上の点を踏まえた「子ども優先の社会」「チャイルドファースト社会」の実現に向けて自治体として確かな道筋をつけていくべきであると思います。石川区長は今まで「次世代育成」についてその重要性を強調し、社会システムの構造改革であると何度も述べてこられました。昨年の第1回定例会の自民党議員団代表質問の答弁では「戦後日本の構造改革である」また「日本社会の構造改革に対する大きな挑戦である」と、また今年の第1回定例会では「社会の仕組みを変える構造改革」であり、「日本の未来の扉を開く鍵となる」とまで述べられています
 そこで改めて区長に「子ども優先の社会」に対する所見と実現に向けての基本的な考え方をお伺いいたします。

 次に「子どもの機会の平等」についてであります。
 「日本では長く『結果の平等』ばかりを問い、縦割り組織、横並び意識の中で、『出る杭は打たれる』悪しき風土があります。日本社会独特のいわゆる同調体質であります。『結果の平等』を求めすぎたゆえに『機会の不平等』を生んできても疑問を持たなかったともいえます。所属する小集団に忠誠を誓うかぎり機会は均等に与えられても、大勢と異なる意見や行動をとる者は排除されやすい」(金子勝の「粉飾国家」より)という同調体質は今も残ります。
 また近年、所得の面を始めいろいろな意味での格差が広がっています。いわゆる二極化であります。正社員と非正規労働者、考える人と考えなくていい人、エリートと素直で従順な人、勝ち組と負け組みなどであります。しかもそれが階層化していると東京大学大学院教授の刈谷剛彦氏は警鐘を鳴らします。また二極化ということでは、ノーベル経済学賞をたくさんとったシカゴ大学で新自由主義(ネオコン)を掲げる人々が、「人間というのは自立したまっとうな人間と半人前の厄介者の二種類いるとされる。したがって一部のエリートとそうでない人間を、子どもの教育の時からはっきりさせて社会の運営をする」といっています。もし仮にこのような社会を目指すとすればもはや機会の平等は必要ありません。誠に恐ろしい話であります。逆にこのような二極化の動きに歯止めをかけるのが「機会の平等」の保障であります。
 また一方では、グローバル化と情報化が驚くほど急速に進んでいます。そこには多様性が基本とされるのはいいとしても競争社会と自己責任原則がいやがうえにも強いられてきます。
 このような厳しい社会の現状を考えるに、子どもたちは再び危機に立たされているといっても過言ではありません。
 人にはさまざまな次元の異なる能力があるということが基本であります。いわゆる共生の考え方であります。子ども期におけるそれはなおさらのことであります。子どもの能力や可能性は知的能力・学力だけではなくスポーツなどの体力、芸術能力、人格等さまざまであります。子どもの持っているその優れた能力や可能性が何であるかを親や教師や地域が的確に認識してそれを伸ばす機会、または子ども自らが気づき発揮できる機会をすべての子どもに保障することが大事ではないでしょうか。つまり「子どもの機会の平等」であります。
 もし家庭の何らかの事情により、また学校で何らかの理由により言葉は適切でないかもしれませんが落ちこぼれた子どもがその機会を奪われたならば本来の能力も見出すことも伸ばすこともできません。またそのままを認めてもらえる居場所もなくなります。それを運や家庭のそして個人の責任として済ませてよいものでしょうか。子どもは同じスタートラインにもつけず後の成長にも影響が出てくることとなるでしょう。
 よって、このような状況の中、区としてすべての子どもに「機会の平等」を保障すべく体策を講ずるべきと考えます。担当する課は子育て推進課を始め教育委員会、図書館、文化学習スポーツ課、出張所など多岐に渡っていることから全庁的な推進組織が必要となります。またこの機会の提供は行政だけでできることでもありません。家庭や学校を始め地域やNPO、大学や専門学校などとの連携なくして実現はできません。連携に必要なことはなんといっても区の基本的な考え方をまず明らかにすることであります。区の理念としては共生の考え方を掲げていますが、まさに表裏の関係にあるこの「機会の平等」をすべての子どもに保障するとの考え方を広く示すことが必要ではないでしょうか。
 そこで、今後区として「子どもの機会の平等」をすべての子どもにいかにして保障していくのかお伺いいたします。

 次に、子どもの機会の平等という観点から3つの子どもに関する事業について質問いたします。
 最初に、子どもの居場所づくりであります。繰り返しになりますが、「一人ひとりの能力を発見し、あなたはあなたらしく生きていいのよ、とそのままを認めてあげる」子どもとの人間関係を重んずる「居場所づくり」はまさに今まで述べてきた子どもの機会の提供とその目的は一致します。活動拠点としての場所の提供も大事ですがそれだけでは目的は達成できません。先日、西神田の児童家庭支援センターに中高生タイムの見学に行きました。3階のフロアにある各テーブルはどこも中学生でいっぱいで、音楽室はバンドの練習、体育館はいろいろなスポーツに励む生徒で賑わっていました。そこで、もし音楽なりスポーツなり芸術なりその専門性を持った人がその場所にいて、子どもの能力を見出しまた伸ばしてあげ、さらにそのままを認めてあげることができたならどんなにすばらしいことでしょうか。本来の居場所としての目的も達成できることになります。同じような観点から、児童館でのさまざまな体験教室にも同じことがいえます。これは一番町児童館の例ですが、絵本の英語や中国語による読み聞かせですが子どもにも大変人気と聞きました。読み聞かせはお母さんたちがボランティアで行っているそうであります。
 区内には大学や専門学校も多くまたさまざまな専門技術や経験を持っている退職された方々もおられます。千代田区においてはまさにこのような人材面の充実には事欠きません。理念や目的を明確にして呼びかけることにより必ず多くの方が協力してくれると思います。子どもの居場所づくりや児童館の各教室に広く専門の人材を有償ボランティアでも良いと思いますが募集し配置してはどうでしょうか。ご所見をお伺いします。

 次に、アーティスト・イン・スクールについてであります。子どもの芸術体験として保育園から中学校まで実施している事業にアーティスト・イン・スクールがあります。その目的はプロの芸術家を講師として学校に派遣し、子どもたちに、より多くの芸術に触れる機会を提供し子どもの自由な成長を図るというものです。アーティストの例としては落語家あり、カメラマンあり、劇団員あり、マリンバやピアノ奏者あり、美術家などさまざまであります。アーティスト講師は、生徒たちの豊かな発想や表現を引き出すきっかけを与え、出てきた表現を「表現」として成立するような環境や構成を考えるものとなっているそうです。まさに子どもへの機会の提供そのものであります。
 そこでアーティスト・イン・スクールの今日までの成果と今後のあり方をお伺いします。

 次に、来年度から予定されています「放課後子どもプラン」についてであります。
 千代田区では実施していませんが「放課後地域子ども教室」を実施している文科省と「放課後学童クラブ」を実施している厚労省が連携し、親の就労形態に関係なくすべての子どもを対称に放課後対策事業を行うというものです。その内容は、教育委員会主導、福祉部連携のもと子どもの安全で健やかな居場所を確保し、勉強やスポーツ・文化活動、地域住民等との交流等の取り組みを行うものとされています。「子どもの居場所づくり」同様、子どもの機会の提供としてまたあくまで子どもの視点からの取り組みが重要となります。
 そこで現在、区はどのようにこの事業をとらえまた実施しようとしているのかお伺いいたします。

 最後に子ども施策全般の推進とチェック体制についてであります。
 平成16年10月に策定した次世代育成支援行動計画は「千代田区を挙げて実現する行動計画にします」と宣言しており子ども施策に取り組む区の並々ならぬ決意が伺えます。またこの計画の最後に、「区民と行政が協働し行動計画推進体制を整備する」として推進体制の重要性を指摘しています。
 子育てのメニューは揃っていても内容が伴わなくては意味がありません。カタログとしての保障で終わらないためにも、子ども施策全般を、子どもを主体とする子どもの視点を持って体系的に推進しチェックできる仕組みが必要であります。現在、次世代育成支援推進会議がその役割を担っているとのことですが、現状と今後のあり方をお伺いします。また提案として、独立した機関としてその推進会議があるのであれば事業をチェックし、不備な点、こうしたら更に良くなるというような点について、事業の実施主体に対して勧告ができるくらいの権限を与えてはどうでしょうか。合わせてお伺いいたします。

 以上、「子ども優先の社会」の実現を目指して3点質問させていただきました。未来を担う子どもたちの笑顔が輝く時代を是非とも築いていきたいものです。千代田区としてそのための確かな道筋を示すべく区長並びに関係理事者の積極的で前向きな答弁を期待し代表質問を終わります。
 ありがとうございました。


〈区長答弁〉

 大串議員のご質問にお答えいたします。
 前半の部分は大変聡明な高邁なご議論で、私、どう答えていいか実は悩みました。特に私は専門家ではございません。そうした中で、私自身の子ども、あるいは子育てに関する認識を申し上げながら、子ども優先社会 、あるいは機会の平等について申し上げたいと思います。
 まず、子ども優先社会についてでありますが、私たちの未来は今の子どもたちによってつくられるものであり、「子どもは社会・家庭の宝」と言われるゆえんだろうと思います。未来を担う子どもを育てることは、人間の営みで最も大切なことであり、将来、社会構成員として様々な活動・貢献をしていく、いわば公共的な存在とも言えるわけでございまして、社会全体で大切に育てていかなければならないと考えております。しかし、今の社会は、最も大切な営みである子育てを忘れてしまったようにも見えるわけでございます。だからこそ、子育てに光を当て、ともに子育てを支えていくことができる社会をつくり上げていかなければならないと考えております。
 自治体も、サービスを提供する一事業体であると考えますと、人口減少社会において、子育てしやすい環境は地域の魅力であり、今後、住民から選択される地域となるための必須条件でもあろうと思います。次世代育成施策は、人口増、経済成長、男女役割分業的な発想に基づく社会・家庭のあり方を前提として構築された従来の社会システムに対するアンチテーゼであります。だから、私は、再三申し上げているように、構造改革だというふうに申し上げています。この構造改革は、 言うは易し、大変難しいわけでございます。
 そうした中で、具体的には、高齢者と子どもへの社会的投入費用の配分を見直すことも1つの方法だろうと思います。本区の子育てに関する財源確保条例の理念は、まさにこうした考え方に基づいてつくられているわけであります。また、子育て家庭の支援は、就労状況を問わず、子育て中の家庭全般を対象にすべきであり、仕事と子ども、あるいは仕事と家庭という二者択一を迫る社会であってはならないと思います。
 そこで、これまでの子育て支援、就労継続支援という考え方ではなく、様々な状況にある多様な家族全体を支援するための家族政策として、いわゆる働く女性にも優しく、家族に対しても優しいというそういう思いで、企業の取り組みに期待をして次世代育成手当を創設したわけであります。 現金給付は、一番考え方として望ましいのは、簡素で普遍性のあるものだろうと思います。そうした意味で、次世代育成手当ては、そういう期待に応えられるものだろうと 自負をしております。
 今世紀において、子どもたちがうつむいたり、肩を落とした姿を誰もが見たくないだろうと思います。子どもたちの目がきらきらと輝き、声が弾む社会・まちでありたいというのが私も含めて皆様方の願いだろうと思います。子どもの笑顔は、すなわち前へ進みたいという人としてのエネルギーであり、このエネルギーが失われた社会に未来はないだろうと思います。
 次に、機会の平等について申し上げます。
 子どもには本来、自ら育つ力─子育ては「個育て」とも言いますが、自ら育つ力が備わっております。それゆえに、つらいことも希望・夢を持って乗り越えられるのが、それが子どもの私は特権だろうと思います。大人は、その特権を奪ってはなりません。家庭だとか、親だとか、学校は、子どもに対しまして、人間として生まれ、生きていく上で必要な養分を与える存在であってほしいと思います。十分な養分が与えられるならば、子どもは好きなように、あるいは力を伸ばして、枝葉を伸ばしていくだろうと信じて、どの子どもたちにも等しく養分を与えられる機会を保障していくことが、行政の役割だと認識をしております。子どもさん方には、養分を与えられる権利があると同時に、しかられる権利というものもあるのではないかと思います。親や家庭、大人が子どもに贈る最大の贈り物は、善悪の価値判断を教えるしつけであろうと思います。そして、大人は、子どもにしかる義務があるとも思っております。真に自由・自立した人間となるには、他者へ思いやり、他人を尊重することが身に付いていることが前提で、家庭・学校・行政・地域は子どもの持っている力を伸ばす機会を与えるということだろうと思います。
 どうも私たちの今の社会は、「栴檀はは双葉の時より芳しい」、あるいは少し簡単な言葉で言えば、「這えば立て、歩めの親心」、どうも成長という論理の中で、これが 強すぎるのではないかと。這えば立て、歩むことを待つのが親心というふうに私は子育てなり、子どもに関して、そういう認識を持っています。
 それから、次世代育成会議については、ご承知のとおり、再三申し上げていますように、本来、計画が終われば、会議は終わりというのが通常ですが、あえてこの会議をつくっているのは、それぞれの事業のチェック、あるいはあたらしい 施策を考えていただきたいという意味で、計画策定以降もこの会議を設けているところでございますので、ご理解を賜りたいと思います。
 その他につきましては、担当部長をもって答弁をいたさせます。

〈次世代育成担当部長答弁〉

 大串議員のご質問のうち、子どもの機会の平等及び子ども施策全般の推進とチェック体制について、区長答弁を補足してお答えいたします。
 まず、子どもにとって、自分の可能性や能力を見出し、伸ばしていくことができる適切な機会が等しく与えられていることが重要であるという点については、議員ご指摘のとおりであり、区といたしましても、これまでそのような考えに基づいて事業を展開してきております。しかし、子育て支援施策についての情報が適切に提供されていないがために、どのような機会が与えられているのかがわかりにくいというご指摘もいただいております。そのため、今年度は、情報を一元的に提供できる体制を目指して、関係各課の課長を次世代育成支援担当部副参事として兼務発令するとともに、組織の枠を越えた総合的な子育て情報の提供・相談窓口として、児童・家庭支援センターにチャイルド・ケア・プランナーを配置したところであります。
 次に、具体的な事業のご質問に関してですが、まず、子どもの活動拠点における専門的な人材の配置についてお答えいたします。
 学校教育においては、コミュニティパワーの活用として、地域や外部の専門家からお茶、和太鼓、剣道、ミニバスケット等、様々な指導を受けられる場を設けており、それぞれの学校の特色にもなっております。児童館におきましても、現に様々な特技・技能を持った地域のボランティアの方たちや、音楽・スポーツに親しんでいる大学生等に、小学生・中高生の指導をお願いして、子どもたちの個性に応じた学びの機会の確保に努めております。今後ともこうした人材の確保に努め、子どもたちの学びの機会の一層の拡充を図ってまいります。
 アーチスト・イン・スクールは、千代田区文化財芸術基本条例に基づき策定された「千代田区文化芸術プラン」で主要事業に位置付けられており、区内の幼稚園・学校、保育園、児童館に本物の芸術家を派遣し、子どもたちと一緒に授業をつくっていくことで、豊かな感性と情操を育てていくことを目的としております。自由で柔軟な発想を持つアーチストたちと過ごす時間は、子どもたちに良い刺激を与えており、学校・園からは「ぜひ次回も」という声が寄せられております。千代田区に新たな芸術家が生まれることを期待して、今後とも様々な分野のアーチストの派遣を進めてまいります。
 次に、「放課後子どもプラン」につきましては、家庭の就労状況にかかわらず、放課後の子どもの生活の拠点を基本的には学校に置こうというものであり、本区が進めてきた「アフタースクールすきっぷ事業」と基本的な考えが一致するものと受けとめております。今後は、子どもにとっての学習・体験の機会の拡大・充実という観点を加味し、教育委員会と協力しながら、具体的な検討を進めてまいります。
 最後に、次世代育成支援推進会議についてですが、昨年度、推進会議からいただいた提言・提案につきましては、次世代育成支援担当部への兼務発令による横断組織の実現、チャイルド・ケア・プランナーの配置、子育て支援者養成講座の実施等、本年度最優先で具体化しているところであります。
 今後も、推進会議は、客観的かつ専門的な立場から、本区の次世代育成支援施策を検討してもらう場として、その提言を最大限尊重していくとともに、子どもから直接意見を聞き、子どもの視点で事業をチェックする機会の確保も検討してまいりたいと考えております。

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